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卒業生の声

平成19年卒業 野村 祐輔 選手

岡山県倉敷市 連島南中学校出身

 

私は2012年、広島東洋カープに入団しました。プロ野球の世界には、広陵出身の方が多く、改めて野球の名門校だということを感じさせられます。高校を卒業して5年。高校生活を振り返ると、愉しい思い出ばかりです。特に野球を通じて出会った仲間は、私にとってかけがえのない存在。冬の厳しい練習に耐え、試合に勝つ喜びを分かち合った日々は、何物にも代えられない人生の財産ですね。何の気遣いもなく、本音でぶつかり合える関係。
それぞれが社会人になった今も、年末には必ず集まり、近況を報告し合っています。この日は一年で最も笑っているかもしれませんね。
 私は中学の時、一度だけ広陵高校を見学しました。そこで私が目にしたのは、野球部の先輩方の活気溢れる様子、誰に対しても深々と頭を下げ挨拶をする生徒の清々しい姿でした。この光景に一瞬で心奪われた私は「この人たちのようになりたい。」と強い憧れを感じ、広陵高校への進学を決めたのです。たった一度の見学が、私の人生に大きな影響を与えたことは間違いありません。
入学後は野球部に所属し、甲子園を夢見て練習に励みました。高校3年の夏に甲子園で準優勝することができたのは、周囲の支えがあったからだと思います。目標や夢を叶えるための過程で、多くの方々に支えられ、感謝の意味を知ることができました。言葉でいうのは簡単ですが、本当の意味を知ることができたのは、3年間の高校生活があったからだと実感しています。
これから高校に進学される皆さんには、一つでもいいので、何か没頭できるものを探してほしいと思います。「こういう人になりたい。」、「将来、こんな道に進んでみたい。」など、今はまだ漠然としていてもいいんです。一生懸命に、諦めず追い求めていくことが、今後の人生において、大きなプラスの力となるに違いないでしょう。広陵高校での高校生活で、是非「人生のきっかけ」を見つけてほしいと思います。

[写真提供:広島東洋カープ]


平成13年卒業 TEEさん

広島市立祇園東中学校出身

 

 自分には高校時代があった。毎日同じ時間に起き、苦手な勉強をして、厳しい部活に明け暮れた日々。日々の練習に疲れ果て、「やめよう」そんな事を考えることなんてしょっちゅうだった。そんな自分に「目標を持って本気で生きてみろよ!」とある先生がおっしゃった。その言葉に自分自身が無性に悔しくて、それからは何事にも本気になってみた。本気で笑って、本気で泣いて、本気で勉強して、本気で部活に打ち込んだ。本気で物事に取り組むと、毎日仲間たちと過ごすことが楽しくてしょうがない自分に気づいた。「早く卒業したい。」そんな事を言っていたのに、卒業式で涙したのはきっと全てとの別れが寂しく、惜しまれてならなかったからだと思う。

 あれから、すでに卒業して16年。自分は今アーティストとしての人生を生きているが、あの頃と変わらず常に本気で生きている。挫けそうになったり辛くなったりすることもあるけど、そんな時は迷わずあの頃の仲間に連絡をする。そして 久しぶりに会うと懐かしい思い出話に花を咲かせたりする。卒業してこれまで色んな人と出会ってきたけど、やっぱりあの3年間を過ごした仲間は特別で、人生の大事な宝物だと思うし、これからもずっと付き合っていきたい。
そして、広陵出身と言うだけで沢山の先輩に可愛がられたように、自分にも出来た沢山の広陵ファミリーを大切にし、絆をつくっていきたいと思っている。「広陵高校」それは自分の人生の根っこの部分を作ってきた大切で誇らしい場所だ。あの時はありがとうございました。いつか恩返しがしたい。そんな気持ちで今日もとにかく本気で生きてます。
だから君たちも 本気でいこうぜ!
そして楽しもう☆  人生楽笑

[写真提供:(株)RAMPAGE]


平成17年卒業 新本 亜也さん

広島市立日浦中学校出身

 

 私は、広陵高校入学と同時にボクシングを始めました。興味本位で始めた当初は、自分の人生がボクシングで大きく変わるとは夢にも思っていませんでした。

 進学クラスに入学しましたが、私は勉強が苦手でした。そんな私でも先生方は熱心に教えてくださり、その熱意に応えて自分も頑張ろうと思い、自分なりに苦手な勉強も部活とともに一生懸命行いました。

 9年目を迎えた年、ボクシングでは2度の日本一を経験し、去年のアジア大会では、日本人初となる銅メダルを獲得しました。結果だけを見ると順風満帆に見えるかもしれませんが、決して平坦な道だったとは言えません。

 日本一が決まる試合では、デビュー戦から4年連続準優勝で、なかなか日本一になることができませんでした。それでもどうしても日本一になりたい一心で毎日必死になって練習をし、地味な練習にも勝つためにと言い聞かせて取り組んでいくようになりました。

 その結果、2008年の全日本女子アマチュアボクシング選手権大会では以前の相手にリベンジを果たし初優勝、2010年の同大会で二冠を達成、そしてアジア大会での銅メダル獲得に至ります。日本チャンピオン、アジア大会銅メダルは今の私の最高の喜びであり、いつも応援してくださる全ての方々にお伝えしたかったことです。

  ボクシングでこのような結果を残せたのは、自分の苦手なことにもあきらめず挑戦し、茨の道を歩んできたからこそだと思います。そして、その姿勢の基礎となったのは、苦手な勉強に一生懸命取り組んだ高校での体験であると確信しています。私にとって広陵高校は自分自身を成長させ、生き方の指針を作りあげ、いまの私の実力のすべてにつながる原点となった場所です。


平成7年卒業 平尾 順平さん

広島市立亀山中学校出身

 

 小学生の頃、テレビで見たソウルオリンピックで「器械体操」という競技に感動し、自分も器械体操をしたいと思ったものの、地元の小・中学校には体操部がなかったことから、入学以前から広陵体操部の練習に参加させてもらっていました。

 実際に広陵高校に入学してからの日々は、勉強とともにクラブ活動にも没頭した毎日でした。朝は6時過ぎに家を出て自転車で安佐北区の自宅から安佐南区の学校まで通い、クラブ活動が終わって帰宅すると夕飯時を過ぎることもしばしば。その後、夜遅くまで宿題と予習に明け暮れる生活。広陵魂と当時の男子校的ド根性で3年間皆勤でした。担任の先生を初め、当時お世話になった先生方には今でも感謝しています。

 本当は体育学部に進学したかったのですが、興味のあった英語を活かして、新設の広島市立大学国際学部に進学しました。卒業後は国際協力をする組織に就職し、海外の国々をまわるなかで、改めて「ヒロシマの知名度」に気がつきました。どんなに小さな町や村を訪れても、「ヒロシマ」を知らない人はほとんどいなかったと言ってよいと思います。一方、自分自身がどれだけ広島のことを知っているか、どれだけ「いま」の広島を彼らに伝えられるかということについては正直難しく、一度きりの人生、できるなら自分は広島を盛り上げ、発信していくことを仕事にしたいと考え、2010年5月に独立し、「ひろしまジン大学」というNPO法人を立ちあげました。

 このエネルギーは、広陵高校時代に勉強と部活とをがむしゃらに取り組んだ試練のような毎日から培ったように思います。みなさんも「やりたい!」と思うこと、「好きなこと」を諦めず、一途に取り組んでください。きっといつか道が開けると思います。


平成25年卒業 中村 美々子

東広島市立向陽中学校出身

 

 「甲子園のあのアルプススタンドで応援がしたい」。これが中学校時代吹奏楽部に所属していた私が広陵高校を志望した理由でした。東広島に住んでいた私は、毎朝5時半には家を出て自転車を漕ぐこと30分。JRとアストラムラインを乗り継ぎ2時間余りかけて遠距離通学をしていました。入学後すぐに吹奏楽部に入部し、放課後は練習づけで帰宅は九時を過ぎる日々。もちろん週末も部活動があったので休んでいる暇などありませんでした。2年次からはU類文系コースに入ったので、当然のことですが勉強を疎かにはできません。とにかく授業内で理解するように努め、通学時間も利用して予復習に励みました。

このように書くと大変そうだけれども、それなりに順調に学校生活を送ったように思われるかもしれません。しかし正直なところ、辛くて何度も挫折しそうになりました。そのような時に私を支えてくれたのは良き仲間であり先生方でした。その後、幸運なことに念願叶って高校2年生が終わった春、あのアルプススタンドで思い切り熱い応援をすることができました。普通では経験できない素晴らしい思い出となりました。

 進路に関しては、職業選択に迷いはありませんでした。人と接することや英語が好きでしたし、何より幼い頃に見た客室乗務員の優雅で颯爽とした姿への憧れを持ち続けていたからです。大学か専門学校かで悩みましたが実績のある専門学校を選択しました。目指す目標が明確だったからです。先生方はしっかり私の話に耳を傾けてくださり応援してくださいました。

進学後の授業は航空知識を始めとして、必須の英語やビジネスマナー等まで学ぶことは幅広くありました。TOEICのスコアが760点に到達した時は努力が報われ本当に嬉しく思いました。専門学校での勉強はそれは大変なものでしたが、広陵高校で培ったことが私の柱となり、初心を貫き通すことができました。少々のことではへこたれない「広陵魂」が私の中に育っていたのですね。

厳しくも温かい先生方、そして良き仲間と共に過ごした高校三年間は私にとって何物にも代えがたい大切な時間となっています。


 

平成22年卒業 川本 浩道さん

広島市立安佐中学校出身

 

 私は、平成22年に広陵高校を卒業しました。普通科T類に所属しており、一年生の頃は勉強に特に熱を入れることもなく、定期試験時に勉強する程度でした。二年生になり、進路について意識するようになり、徐々に普段からも勉強するようになりました。私は国立大学への進学を考えており、当時の学力では厳しいものがありました。それは模試の結果にはっきりと表れていました。しかし、担任の先生を始め多くの先生方に厳しくも愛のある指導をしていただき、進路についても時間の許す限り、真剣に相談に乗ってくださいました。その結果、愛媛大学の法文学部に合格することができました。

 大学に入学すると同時に、人生初めての一人暮らしが始まりました。最初は大変でしたが、慣れてしまうと簡単なもので、サークルにバイトにと充実していました。大学の単位については、なんとか取れていましたが、将来なりたい職業が漠然としていました。それは法文学部に入学したので、法律関係の職業に就きたいというものでした。そこで私は法律職についていろいろ調べ、公務員試験を受けようという結果に辿り着きました。公務員試験には、裁判所職員試験、国家一般職試験、広島県庁、市役所試験といった法律に携われる職業がありました。しかし、公務員試験の勉強は想像以上に過酷で、センター試験の時とは比べものにならないと私は思いました。そこで助けになったのが、同じく公務員試験を受ける友達でした。お互い支え合って、図書館やカフェで1日10時間以上は勉強していました。その努力が報われ、国家一般職試験(競争倍率約180倍)に合格することができ、平成26年度より、広島法務総合庁舎にある広島地方検察庁で働いています。

 ここまで私がこられたのも、すべては広陵高校がスタートだと思います。先生たちは本当に優しく、今でも挨拶に行き、先生方と思い出話をしたりしています。皆さんも広陵高校に入学して、自分の人生の輝かしいひと時にしてみてはいかがでしょうか?

 


平成29年卒業 山田 翔大

廿日市市立大野東中学校出身

 

 高校3年の秋、地元球団である広島東洋カープへの入団が決まりした。カープといえば、野村投手を始め多くの広陵出身の先輩方が現役で活躍されています。私は高校卒でプロの世界に進みます。分からないことだらけですし、正直不安もたくさんあります。ですが同じチームにOBの方がいてくださるし、多くの方が応援してくださるので、とても心強く思っています。
 私はふと、こんなことを思うことがあります。「もし、広陵高校に来ていなかったら、僕は一体どうしていただろう。」と。私が広陵高校で野球をしたいと思ったのは、監督をされている先生との出会いがきっかけでした。その先生の人柄に惹かれ入学を決めました。しかし、待ち受けていた現実は厳しく、心身共に一から鍛え直されました。また、勉強を疎かにしてはならないと厳しく言われていましたので、共に寮生活をする仲間達や級友達と助け合いながら頑張りました。同級生の部員は58人。全体で142人。本当に大人数です。共に様々なことを乗り越えて来た仲間達と、夏の甲子園準優勝、そして国体優勝という結果を残せたことを心から嬉しく思います。目標であった「夏の日本一」にこそなれませんでしたが、家族や先生方を始め多くの方々の応援と支えがあったからこその結果だと感謝しています。
 かつての私は「自分のために」野球をやっていたところがありました。しかし、今の私は自分が頑張ることで誰かが喜んでくれることが嬉しい。そう思えるようになったのもこの広陵高校での教えがあったからです。私は広陵高校で自分の夢を実現する機会を手にしました。これから高校に進学する皆さんには小さなことからでいい、目標や夢を持ってひたむきに取り組んでほしいと思います。そうすることで仲間との絆を深め、自分を磨き、大きく成長することができるのではないでしょうか。そしてその目標がクリアできたときの達成感をぜひこの広陵高校で味わってください。皆さんを心から応援しています。

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